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- 2017.11.15 Wednesday
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恒例の靖国神社参拝は井苅の気まぐれに決定される。
平日だったので倅の帰宅を待って出かけることにした。
7月に入ると井苅の仕事は繁忙期である。6月中に参拝を済ませておきたい。
「パパ、どこでかけるの?むしとりあみもってっていい?」
「じゃまになるから虫かごだけにしなさい」
靖国神社はもうじき始まるみたままつりの準備中である。
参道を歩いていると黒い猫がいた。
臆することなく近づいてくる。むしろ普段動物に触れる機会の無い倅の方が戸惑っている。
倅は誤って手に持っていたビーフジャーキーを落としてしまった。
猫はそれを見逃さず飛びかかるようにして瞬く間に食べてしまう。
猫は更に食べ物を要求するかのように倅に付きまとう。
知っているのは人影を見ると姿を隠す猫ばかりである倅は大層困惑している。
靖国神社参拝も終わり次は千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ向かう。
順序をどちらからにするかはなかなか難しい選択だ。
九段下の駅から坂を登ると大鳥居である。墓苑は千鳥ヶ淵に沿ってしばらく歩かねばならない。
その後の行程を考えると靖国を最初に持ってくる方が組みやすいのだが今回はそれが裏目に出た。
既に墓苑は閉苑時間を過ぎ入口の門は閉ざされていたのだ。
井苅は苑外からそっと手を合わせた。
お堀に沿って東京駅へと倅と向かう井苅。
今年は戦後70周年、何をもってそう決定しているのかは不明だが節目の年だそうだ。
「もはや戦後ではない」と言われて何十年経つのだろう。
この国では全く戦後は終わらない。夏になると国をあげて反省、謝罪、慰霊、が行われる。
もはやそれは単なる年中行事のひとつであり、お盆行事のひとつであり、他国のことや将来の展望などまともに考えて行われているとは到底思えない。
それを打破しようと首相は何やら画策しているようだが、それは日帝への回帰を意図するものであろうことは想像に難くない。
我々は未来永劫謝罪と反省を続けねばならないのか?
その疑問に挑戦することは意義のあることであるが、帝国の復活との方法論はまさに「いつか来た道」であり、共に使い古された左翼的比喩でもあるが第三帝国総統を彷彿させる。
朝鮮人は帝国臣民であり共に大東亜戦争を遂行した「共犯」であり敗戦国民であるにもかかわらず、今や「解放された」被害国民との立場を勝ち取った。
これは韓国政府の外交努力であり、人民の数十年にも渡る日帝との決別の意思のあらわれである。
我々日本人はその歴史捏造を批難する資格は無いだろう。
黙祷し、謝罪し、反省すれば赦されるだろうと安易な方法に頼った結果がこれだ。
我々はまたもや騙された。
「天皇陛下万歳」
「大東亜解放」
「一億総懺悔」
嘘だらけである。
大日本帝国政府及び日本国政府はその戦前戦後の人民に対する所業こそ最初に反省し謝罪せねばならない。
強制労働や強制連行は何も占領地人民や鮮人にのみ行われたわけではない。
まず、日本人に行われ、その結果が帝国版図の拡大であり鮮人の共犯化である。
日本国政府は帝国人民および日本国民に対する人権侵害の罪を認め謝罪と反省を行うべきなのだ。
自国民を大切にしない国家を誰が信用しよう。
その結果、敗戦の日は日帝の苦役から人民が解放された勝利の日へと変化する。
我々はこの韓国のような歴史捏造を受け入れねばならない。
それが敗戦国民が永久の謝罪と反省から赦されるための苦渋の決断だ。
日本国政府が真に人民を思うのであれば加害の責は政府が引き受けるべきだろう。
もちろんもうひとつ忘れてはならないことは帝への謝罪である。
帝を政治利用し人民支配に悪用したその罪は重い。
そしてその大御心を蹂躙し国体を危険に曝した責は赦されるものではない。
首相の戦後70年談話に以上2点、帝への謝罪、大日本帝国人民(鮮人含む)への謝罪を要望する。
そんなことを井苅が考えていると丸の内で働く井苅の妻からEメールが届く。
『仕事終わったけどいまどこにいるの?』
『皇居。もう少しで東京駅に着く』
『早く来てね。お腹空いたから』
倅は夢中になって虫を追いかけている。
待ち合わせ場所に到着するにはもうしばらく時間がかかりそうだ。
天皇陛下万歳
日本国人民万歳
日本国万歳
(27.7.29)