「会長まだ来れないんすか?」
帰還兵くんから会長の携帯に電話が掛かってくる。
「いや、まだ仕事中なんだが…」
「北京ダックがもう残り僅かですけど」
会長の全身に衝撃が走る。
「い、いや、そう言われてもだね…、あともう30分くらいで終わって、そのう…、それから帰る仕度をしてだね…、それで…」
「もうみんな出来上がってますから急いでくださいね!」
これは急がなくてはならない。
手早く仕事を片付けた会長は財布をチェック。
北京ダックを奢ると言ったのに中身は千円しかなかった。
慌ててATMへ走るが、会長の使っているA銀行はどんな理由なのか「本日のお取引は終了しました」。
銀行2ヶ所、コンビニ3ヶ所をまわる諦めの悪い会長。
最初からB銀行のカードで下ろせばすぐに済んだものを…。
ようやく引き出せたお金を手に、会長は皆が集うお店に滑りこむ。
「遅かったっすね会長。もう既に…」
テーブルの上を一瞥した会長にはみなまで聞かずとも、どのような状況であるかは瞬時に理解できていた。
テーブルの上には空いた皿とグラスが雑然とひしめき、そこに一片の料理も残されてはいない。
会長は腰が砕けそうになるのを必死に堪えて席につくと、動揺を隠すように「生ビールと上海焼きそばを頼んでくれ」と編集長に告げた。
話に夢中な者、酔いつぶれている者を尻目に編集長と会長はそそくさと生ビールで乾杯。
「いやあ、しかしワタシもまさか売り切れるとは思ってもみませんでしたよ」
編集長はもうすでに酔いがまわっている。自身の編集した同人誌が完売してアルコールがさぞ美味いことだろう。北京ダックも…。
「いったい何部刷ったんだよ?」
「××部ですが…」
「だからさあ、言ったじゃん。それなりに捌けるだろうから×××部刷っとけって…」
「言われてないですよ」
「あ〜俺も聞いてないっすよそんな話」
不満気な編集長と尻馬に乗る帰還兵くん。会長これは分が悪い。
「ま、まあ、しかし良かったな。ところでわたしは現物をまだ見てないんだが。あとさ、ちょっと知りあいとかにさ配ったりしたいんだけどさ…」
不思議そうな表情できょとんと会長を見つめる編集長。
「…ああ、お気持ちは十分お察し致しますが先程お伝えした通り完売ですので。残ったのはこの見本紙一冊だけなのです」
手渡された補導聯盟通信を手に取りぱらぱらとページをめくる会長だったが、ひと通り目を通すと興味なさげな表情で見本紙をテーブルの上に置く。
「それは差し上げますよ」
「いや、いいよ別に。これ一冊しか無いんだろう?」
「大丈夫ですよまた刷りますから」
「わたしが持ってても仕方ないだろう。これは編集長がだなあ…」
「まだよく読んでないんでしょう?それにアップローダーからデータのダウンロードができないから読めないって言ってたじゃないですか。遠慮は要りませんよ」
「そ、そうか、仕方ないな。そこまで言うんならとりあえず預っておくことにする」
言葉とは裏腹に会長は見本紙を大事そうにバッグに仕舞い込むのだった。
「会長って…」その様子を見ていた編集長が口を開く。
「…会長ってツンデレですよね」
「はあ?」
「前から思っていたんですけど、わりとわかりやすいくらいツンデレタイプだなあって」
「な、なに言ってんだ?編集長ちょっと飲み過ぎだろ」
「なんすかツンデレっすか?確かにそうっすね」
またしても帰還兵くんが横から口を挟んでくる。
「あの北京ダックが無いって知った時の会長の顔ったら…」
「うるさいお前は黙っとれ!」
編集長はにやりと笑みを浮かべる。
「ああ、会長は北京ダック食べたかったんですねえ。別に要らないって言ってたんで食べちゃいましたけどね。次回は会長を待ちますから。しかしやっぱりツンデレでしたねえ」
気がつけば補導聯盟のメンバー全員が会話を中断してこのやりとりを嬉しそうに注視していたのだった。
「べ、別に…、
別に北京ダックが食べたくて急いで来たわけじゃないんだからっ。
君らが酔ってハメを外したら迷惑がかかると思って、責任ある立場にあるから来ただけなんだからねっ!
勘違いしないでよねっ!」
そう言って会長は席を立つと「多すぎです」と言う編集長の手にATMで引き出した紙幣を握らせ、
「明日も仕事で朝早いからお先に」と言って逃げるように店を後にしたのだった。
(23.9.2記)