【沼津市】高尾山古墳を訪ねる

  • 2015.08.25 Tuesday
  • 00:00
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高尾山古墳は静岡県沼津市東熊堂の愛鷹山の山裾、ちょうど斜面の始まる登り口に位置する。
大戦前は田園が広がり、古来は湿地帯だった平地を見渡せる高台だった。
その高台にはいつからか高尾山穂見神社・熊野神社が鎮座し、近隣住民からは『高尾山』呼ばれて親しまれ11月末のお祭りは大いに賑わったものだ。
近年その高台は鬱蒼とした樹々に覆われて遠目からも“鎮守の杜”との風格があった。

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(古墳手前で建設の中断した新道。高架橋は東海道新幹線。写真右手が三島駅、左手が新富士駅方面)

道路計画は1970年代からあったらしい。
根方街道と称される県道22号線、中世までは東海道としての役割を担った道が山裾を東西に続いているが、その周囲の集落よりもさらに上の丘陵地に新興住宅地が造成されたのが70年代半ばくらいから。
住宅地造成の折に新道の一部は予定地として確保されていた。
沼津駅北から南北を貫く四車線道路である県道162号線通称リコー通り、当初バイパスとして新設された国道1号線、そして根方街道が交差する交通の要衝とも言えるこの場所に国道246号線のバイパスを接続しようとの計画だ。
今世紀初頭にようやくその道路建設が再開され、神社を近接地に遷座し発掘調査が始まって古墳の全貌が露見した。

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毎日新聞の記事によれば『高尾山古墳は、全長62メートル、全幅推定34メートルの前方後方墳。遺物から3世紀前半(230〜250年)に築造されたとみられる。卑弥呼の墓ともいわれる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市・全長約280メートル)と同時代。東日本では弘法山古墳(長野県松本市・全長63メートル)と並び最古級で、この時代では最大級でもある。』とのこと。
他の記事等も参照してみるとなにやらとてつもなく貴重で重大な発見らしい。
道路計画を見直すのか古墳を撤去するのか結論が出ないまま今もなお工事は中断したままだ。


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(かつてはこの社が古墳頂きの鬱蒼とした杜のなかに鎮座していた)

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(おそらく1960年代から70年代の間に神社の土地を削る形で道路拡幅が行なわれたと推測される。その時に古墳の一部も削り取られてしまった)

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(古墳脇からリコー通り方面を望む。歩道橋が架かる“江原公園”交差点。遠くに見えるのは伊豆半島の山脈)

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(江原公園交差点歩道橋から。かつて写真左手の空地に地元の名士、江原素六を称える銅像が設置された公園があった。現在は丘陵地に移転)

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(手前から右手に進行を変える根方街道。かつては県道の青い標識付近に高尾山の階段と鳥居があった)

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(六車線の国道1号線。左手が高尾山古墳と根方街道。右手がリコー通り。一日を通して交通量は多い。国1の更なるバイパス路が“東駿河湾環状道路”として建設中だが進捗状況は芳しくない)


(旧幕臣で明治期の政治家江原素六。自由民権運動に参加しキリスト教徒でもあった。愛鷹山麓や沼津、駿東の発展に尽くしたことに現在に至っても沼津市民より称えられる)

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(高尾山からほど近い旧江原邸跡に建設された“明治資料館”。江原素六記念館として素六の生涯とその功績が展示されている)

古代においてはこの根方街道沿いまで海、または大湿地帯が広がり平地などほとんど無く、ウミとヤマの境目だった。
筆者はかつてこの根方街道沿いの神社仏閣を郷土研究部のフィールドワークの一環としてひと通り訪問したことがある。
神社の多くは丘陵を少し登った集落より上部の高台にその多くが集中していた。
古代の人々が“聖地”“聖域”として奉る場所にはある程度の共通点があった。
フィールドワークを終えて…、いや、国土地理院の2万5千分の1の地図でも詳細に眺めればわかることだが、恐るべき現実に直面することになる。
根方街道の集落より少し山寄りの部分を東西に貫く新幹線は無視できない数の神社仏閣をぶっ潰している。
東海道本線周辺の用地買収が困難だったため大湿地帯を避けるため山寄りのルートを採ったのだが、神社仏閣は比較的用地買収が楽だったと見えその敷地内を通過している事例が散見される。
鉄道や道路計画は容易に用地買収できる場所を選ぶ傾向にあるがこれはいただけない。
当時筆者は荒又宏の『帝都物語』にハマっており、これは米帝及び反日勢力が聖地を潰して護国の結界を解き日本国を滅ぼす陰謀ではないか?と真剣に考えたものだ。
中世以降の神社仏閣に関しては聖地・聖域としての価値を筆者はさほど見出さない(建造物の重要性やそのコミュニティの中心としての価値はとりあえず置いておくとして)。
古代人や先史時代人が現代人の失ってしまった感覚で“聖地”“聖域”と感じたその価値を再発見再認識する必要性は高いのではないかと考える。
要は“神”の領域である。
神の領域は侵してはならない。
効率が優先されて聖地・聖域の価値観が失われてしまったことは残念なことである。
現世の人が使うのであれば現世の人の用地を使って鉄道でも道路でも建設すべきである。
誤解されると困るので付け加えておくが、なんか鷹が居るとか森があるとか獣がいるから建設するなと言っているわけではない。
便利になることは良いことだ。新たな交通路の建設は推進されるべきであるがしかし、
古の民が聖地・聖域認定し神の領域であるとしたその価値観を守れと言っている。
所詮筆者も人の子であるのでその神認定も現世の人の利益の一部である欺瞞くらい理解している。
本来自然保護など個別の動植物利益の為にあるわけではなく現世の人の利益の為である。

古墳発掘で聖地は既に失われてしまったが、古代人がその古墳の高台を聖地・聖域であり神の領域だったと考えたその価値観を記憶に留めるため、道路を迂回させて古墳を残すことが我々にとっては重要なのではないかなと筆者は考える。

(27.10.6)





 
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